長女なくした父、日記でたどる5年 JR脱線事故(産経新聞)

 《お父さんはあの日から何も変わっていません》。JR福知山線脱線事故により、長女で大学生だった容子さん=当時(21)=を亡くした兵庫県三田市の奥村恒夫さん(62)は、事故当日から毎日、亡き娘にあてて日記を書き続ける。そこにつづられているのは、時を経ても決して変わることのないわが子への愛情と、JR西日本への怒り。日記を通して、時が止まったままの遺族の切ない日々をたどった。

 5年前のあの日、日記を書こうと心に決めたのは「娘との思い出を胸にとどめるため」だった。「たとえ世の中から忘れられても、私だけはいつまでも容子のことを思っていたいんです」。以後、日々の出来事やJR西とのやりとりを天国の娘に報告している。

 日記は想像以上に心に負担がかかった。事故当日の4月25日や容子さんの誕生日の6月13日が近づくと、いつも以上に無気力になり、夜も眠れなくなる。

 事故から何年たっても容子さんは21歳のまま。その現実がなかなか受け入れられない。2年目、3年目、4年目…。日記には、容子さんを失った嘆きが続く。

 《4度目の命日。今朝事故現場に行きました。わびしい。なんで毎年つらい思いをしなければいけないのだろう》(昨年4月25日)

 その思いは、正月やひな祭りも同じだった。記念日やイベントが大好きだった容子さんの姿を思いだすたび、幸せだったころに逆戻りし、JR西への怒りで胸がしめつけられる。

 《また嫌な1年が始まります。容子が家にいないことがさびしい。JRが憎い。心の底から憎い》(今年1月1日)

 事故から3年が過ぎたころから、日記は容子さんに語りかけるものが減り、インターネットで調べた事故にかかわる記述が増えた。

 「ずっと同じことばかり書いていてしんどくなったのかな。でも、同じことしか思わないのです。事故の前に戻りたい。容子はいったいどこにいるのか…。日記を書こうにも新しい言葉が浮かばないのです」

 事故から5年。奥村さんが最も恐れるのは、「生きるよりどころ」とする容子さんとの思い出が薄れていくことだ。日記には、《お父さんの記憶力はかなり弱まっています。容子の写真は結構あるけれど、次第に思い出が浅くなるね。お父さんはどのような気持ちで生きればよいのだろう》(昨年5月9日)とつづられている。

 しかし、たとえ思い出が薄れたとしても、JR西への責任追及の決意は変わらない。今年の4月25日の日記にはこう書くつもりだ。

 《容子、お父さんはこれからも頑張ってJRと戦うからね》

■■長女を失った奥村恒夫さんの日記(一部抜粋)■■

【4月25日】

 17年 悲劇。身元不明者の写真の中に容子の姿を見たお父さんの気持ち、分かるか。切なかった、悲しかった、容子がかわいそうだった

 18年 今、仏壇の周りには容子の好きな花であふれています。容子に会いたい、今すぐ会いたい、今日はすごく会いたい

 19年 3回忌。お父さんには親としての夢もいっぱいありました。毎日つらい日々を送っています。こんなお父さんではいけないのですが

 20年 今日は容子が亡くなって3年です。つらさはますます大きくなっていきます。あの大事故を風化させてほしくない

 21年 今朝一番に事故現場に行きました。別に容子に言葉はかけませんでした。容子に声をかけると容子の死を認めてしまうからです

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